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新たな発見の連続!大町の山岳文化史跡を巡る講座を開催👣

本日、「大町の山岳文化史跡を訪ねよう」と題した歴史散策イベントを開催しました!
市立大町山岳博物館学芸員の関悟志さんに案内をお願いし、大町市街地に点在する山岳文化にまつわる史跡を巡りました。
見慣れた市街地にも関わらず、関さんの解説を伺いながら歩くことで、驚くほど多くの新しい発見がありました。
今日回ったものの中からいくつかご紹介します!

まずは、JR信濃大町駅前からスタート。

最初に訪れたのは、駅前に立つ百瀬慎太郎さんの歌碑です。
「山を想へば人恋し、人を想へば山恋し」というフレーズを知っている方は多いかと思います。
百瀬慎太郎さんが小屋を建てた、針ノ木岳の入口にも掲げられたこの歌、私もずっと「ロマンチックだなぁ~」と思っていました。
ところが、実際は、百瀬氏が老いを感じて、晩年に口ずさんだ言葉ということで、ちょっと寂しい背景で生まれたものだったんだそうです。とはいえ、山に登る人の心を打つことには変わりなさそうですね。

次は、駅前にある現在喫茶店などが入るビルが建つ場所へ。
ここは「中部山岳鳩協会跡地」です。一見すると山岳文化とは結びつきにくい場所ですが、ここにも重要な歴史が隠されていました。


関さんの解説によると、かつて山岳地帯での連絡手段として、伝書鳩が非常に重要な役割を担っていたそうです。
小屋に無事についたという連絡や、遭難などの緊急時において、電波が届かない場所でも情報を伝えることができる伝書鳩は、まさに「命を繋ぐ」存在でした。(もちろん、天敵に襲われるなどして、届かないこともあったそうですが)
当時はこうしたアナログな手段が最先端であり、多くの人々の命を守っていたとのお話は心に残りました。

続いては、「對山館跡」の望める場所へ。
かつて多くの登山者たちが集い、疲れを癒し、山談義に花を咲かせたであろう宿の跡地です。

大町が北アルプスの玄関口として栄えた時代、百瀬家の営む對山館は単なる宿泊施設ではなく、情報交換の場であり、登山家たちの交流拠点でもありました。
ここから多くの登山家たちが北アルプスへと出発し、また無事に帰ってきては山の思い出を語り合ったことでしょう。
現在、当時のままのものは石の門柱2本のみだそうですが、関さんが持ってきてくださった当時の写真を見ながら説明をしてくださり、その頃の活気が目に浮かぶようでした。

次に、塩の道街道の歴史を紐解く興味深いお話が。
八日町辺りでは、かつて街道がクランクのように曲がっていたということです。

関さんが持参された江戸時代頃の古地図を見ながら説明してくださったのですが、なぜクランク状に曲がっていたのか、その理由を聞いてなるほどと納得。


当時は善光寺方面と富山を結ぶ街道としても栄えたとのことで、防衛上の理由や集落の構造、水路の存在などが、その理由となっていたそうです。
見慣れた道の風景が、一気に江戸時代にタイムスリップしたような感覚になりました。

次に大町の生活を支えてきた水が実際に味わえる場所、「男清水」と「女清水」を訪ねました。
この二つの名付けは最近のものですが、それぞれ違う水源があったことは昔から続いていることです。
実際にその場で水を口に含むと、ごく微妙に味わいも違うものでした。
水を通じて、大町の自然と人々の暮らしの繋がりを改めて感じることができました。
観光で来られた方も、「飲み比べ」を楽しまれていましたよ!

途中で、「山岳とは直接関係ないのですが・・・」とのことでしたが、歴史的な史跡のひとつ「弾誓寺」へ。
長野県宝の観音像「木造観音菩薩立像」が納められているそうです。
時代の移り変わりとともに、保管するお寺が変わったりしましたが、仏像は大事に受け継がれたそうです。

次に、国道を渡って、大町西小学校へ。
ここには、教育者で、白馬岳へ初めて近代登山者として登るなど登山家でもあった、渡辺敏さんの碑が建てられています。
大町尋常高等小学校の前身であった仁科学校の校長先生として、9年ほど教鞭をとられたそうです。
その後、長野高等女学校(のちの長野西高校)で、女学生たちと2泊3日の戸隠登山を行ったとのこと。
関さんから、袴をはいて登る女学生たちの写真も見せていただきました。
学校登山の礎を築かれたうちのお一人でもあったようです。

西小を後にして、若一王子神社へ。
歴史あるこの神社は、お祭りの「子ども流鏑馬」が有名で、地域の人々に古くから親しまれています。
水の神様を祀ったことが始まりと言われているそうです。


神社の前に、こんな面白い水路が!
(善光寺平を巡ったとき長野市街地でも見ましたが、まさか大町にもあったなんて!)

そして、山との関係でいうと、参道の横には、北アルプスで遭難された皆さんの慰霊碑もあります。
石碑には、鹿島槍ヶ岳が刻まれていました。

さて、ここで、駅前に向かって戻りながら、またいくつかの場所を訪ねました。
そのうちのひとつは、山姥伝説の残る酒造会社の「市野屋酒造」さん。

単なるお酒造りの現場としてだけでなく、地域の民話や伝説が息づく場所として、また新たな発見がありました。
地域の文化が脈々と受け継がれていることを感じることができました。

最後は大町市五日町踏切付近にある「信濃鉄道の記念碑」について教えていただきました。
信濃鉄道は、現在のJR大糸線の前身にあたる鉄道です。
「大正登山ブーム」の折には、大町に多くの登山者を運んでいました。
鉄道が出来たことは、大町市の発展にも大きく寄与したようです。

大町の中心市街地をグルっと歩いて回って、約3時間半!
天候にも恵まれ、参加者の皆様と楽しく大町市街地を歩くことが出来ました。
普段見慣れた風景の中に、これほどまでに豊かな歴史と文化が息づいていることを、改めて知ることが出来ました。
ご参加くださった皆様、そして楽しく分かりやすい解説をしてくださった関悟志先生、本当にありがとうございました!

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